大木さん: つい1週間前に母親が亡くなりまして。書道家だったんです。おふくろは21歳で結婚してずっと主婦だったのですが、42歳に書道の道に入り、昭和63年には内閣総理大臣賞を取る書道家になりました。おふくろの存在が、僕がプログラミング教育の世界に入るきっかけです。僕がおふくろから学んだのは学ぶ覚悟。学ぶ覚悟とは、目的を果たすための準備と、なぜ勉強するかという目的ですね。
大木さん: 書というのは、この1個の点から書きはじめたら止められません。一度筆を落としたら、おしまいの世界です。書は何かを見て書くものではなく、すべての文章を理解して、その思いに沿わなければならない。たった1行のために、その内容、信条、背景を全部自分の中に取り入れないと書けない。書のために、覚え、覚えたものを体感して表現していく。僕が母親に教わったことは「何のためにやるのか」ということ。そして、どうやって学んでゆくか、です。本当に学ぶときには覚悟が必要です。
教える側にも覚悟が必要ですね。先生と教師の違いは、わかりますか?
大木さん: そういうことです。いまの教育がなぜ間違っているかというと、教師と先生を両方やらせているから。今までの社会のように終着点がいい大学いい会社だとしたら、それを教えられる一番のプロは学校の先生ではなく、塾の講師です。極端にいうと、1教科優れた講師が選べる、好きな講師のタイプがあったら5人分の授業をオンラインでやればいいんです。いまはネットが繋がっていれば、何でも調べられます。先生にわざわざ教えてもらう必要はない。
先生の役割は、こどもたちに調べたいと思わせることです。興味があれば、こどもは能動的に学習する。そこにはこどもの「なにそれ?」という衝動があります。それを導くのが先生で、だから学校の先生はもっと人数が必要だと思います。
勉強はネットで一斉授業、というのが僕の考え方で。そのかわり、先生はこどもたちの背景とそれにあったやり方を考えて、興味を持たせるためにはどうしたらいいかを実践する。一方、義務教育としてオンライン上の講義があれば、教育格差はなくなります。僕はそれがやりたくて、プログラぶっくを作ったんです。
大木さん: 僕の経歴にプログラミングって1つもないです。今まで人工知能の走りや有名アニメ映画のサイト、住宅メーカーのサイトにおけるコンシェルジュサービスなどを、手掛けましたが、僕は絶対プログラミングを書かないし、学ばないです。プログラミングの論理的思考は、普通の大人なら持っているものだと思っているので。if文構造、分岐構造、ループとかは、所詮は段取り能力・文章読解能力・コミュニケーション対応能力です。改めてプログラミングを学ぶことで逆に限界がわかってしまうじゃないですか。 僕は特許を4つ持っていますが、一緒にやっているプログラマーは「こんな特許取れるはずない」と言っていました。それは知っているからです。知ることで制限をかけてしまう。プログラミング教育だからといって、プログラミングができない者はプログラミングを語るべからず、という考え方は愚の骨頂です。僕が言いたいのは、真のプログラミング教育って、教える側のプログラミングスキルとは無関係ってことなんですよ。たとえばゲームづくりの企画で必要なのは国語力、文章力、そして調べる力です。スーパーマリオはジャンプしますね。マリオは力学でジャンプします。でも、マリオはなぜ落ちるのですか?
大木さん: そういうことです。ジャンプしたあと落ちることを考えると、重力概念を考えなければいけない。とすると、理科の勉強をしたくなるんです。国語・算数・理科・社会・プログラミングって愚の骨頂で、プログラミングは全然違うものです。こどもたちが能動的に学習するためのトリガーですよ。そこに位置付けなければいけない、と考えています。
大木さん: でもプログラぶっくでだいたい賄えますね。今考えているのは、20代から40代までの就労支援。目標はゼロ段階から18か月でプロのプログラマーです。カードから入って、ゲームを介するプログラミングを覚えて、スクラッチまで全部終わったら、何になりたいかを聞きます。それ次第で覚えた方がいい言語が違うので。それから言語指導に入ります。18か月を目標にしたオンラインのカリキュラムをいま作っています。
大木さん: 僕たちのビデオ見ました? こどもはカードを並べて、スマホを使って学びますが、その様子は先生の確認画面に表示されるので、こどもたちがどういう状態なのかがわかります。こどもたちが実行したプログラミングはぜんぶID管理されているので、こどもごとに全部のデータが蓄積されます。リアルな教室でも、先生もパソコンを通じてこどもたちのプログラミングを見ているので、上手にできた例を教室内のみんなと画面共有することもできます。
大木さん: こないだのイベントの教室で、プログラミングを通じて子どもがショートストーリーを作って発表する機会を作ったのですが、それは盛り上がりました。物語は、プログラミングやシステムを作るうえで一番大切な要件定義です。これから先、ノーコードになってきたら、プログラマーはいらないです。必要なプログラマーはAIがますます進んでいったときに、これを作れる人。だから、プログラマーは理系じゃなくて文系です。
大木さん: 本を通じて、利益を得ようと思っていません。僕たちはカード型プログラムの商標を取っていますが、カードでプログラムができる発想は誰も持っていないわけです。でも、古くからのプログラマーは「昔こういうのがあった」と言っています。パンチで打って、流して、読み取っていたのと同じ要領です。でも最近のこどもや親たちには何のことかよくわからない。2019年の7月に出したんですけど、「プログラぶっくはどういうものなの?」「本屋に行けば売ってるよ」、これが言いたいがために本を作りました。
大木さん: 必要なのは、子どもの承認欲求を満たせるかどうかですよ。「僕、すごいでしょ」を作らせてあげる。僕たちの小学校の勉強までのカリキュラムでいうと、最後は自分で作らせるんですね。
大切なのは「何のために」を知っているかどうかです。これを覚えたら何ができるか。「覚えなさい」では子どもはやらないです、飽きます。だって、この先に何が待っているかわからないから。「ゲームができるよ」じゃ駄目です。ゲームと同じようなことができたでしょなら、ゲームをやった方がいいですよ。
大木さん: でも、具体物の場合で難しいのは、よほどいいものでないとまっすぐ進まないことです。そこで何が起きるかというと、正しいプログラミングを書いても正しく動いてくれない。そういうときに教える側は「惜しかったね、このスクラッチをもう何秒か遅らせてみようよ」って言うんですよ。それではプログラミングを教えているのか、ロボットを正確に動かしたいのかあやふやです。プログラミングが正しいなら、ロボットを直すべきです。プログラミングの勉強だから。
大木さん: いや、全員一緒です。2歳の孫を見ていて思うのですが、おじいちゃんになるとできることがあります。それは「見てる」ことです。いまこどもはできないけれど、いつかできるんです。それまで待てるかどうか。身近にある試行錯誤を繰り返した結果、必ず子どもは成功体験を取る。チャレンジするといつかできることがわかるわけです。
要は子どもに対して、何か見本を見せてあげる。子どもはまねするけれど、教えない、正さない。見て、褒めてあげればいいんです。ちょっとでもできたら、こどもはあれもこれもやりたくなります。あと、衝動を起こさせてあげるんです。だって絶対にやりたいですもん。子どもにワクワクを与えて、試させる。駄目でもいいんです。ずっと繰り返せば。
大木さん: だって、怒らないですから。一緒に何かやってあげるし。そういった「潰さない」というのが大切で。
大木さん: だから、教育は我慢です。あとは教えようと思わなければいいんですね。うちのプログラミングのお手伝いに来る人には「絶対に教えないでくれ」って言いますから。今こどもが悩んでいて、できなくて、ワーッとなっている、ここが一番大切です。正解が出ることはどうでもいいんです。いま試行錯誤を繰り返している、これが大切なので。だからよく言うんです、「あなたの言っている正解は、本当に正解なのか」って。「それはあなたの世界の正解であって、子どもの世界の正解ではないよ」と。
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テクテク編集部あとがき
プログラぶっくでは、こどもたちはカード型プログラミングを通じて、学びを進めます。かわいいデザインで質感のあるカードを並べてプログラミングを組み終え、その後にスマホアプリでスキャンして楽しいキャラを動かしていく仕組みです。PCを使わないので、誰にでも触れやすく、なのにシラバスと管理画面はしっかりできていて、段階を踏んだ学習が進められます。 こういう仕組みは長年IT業界に勤めたベテランが作るものだと思っていたので、大木さんのように人生の酸いも甘いも体験してきた方が作っていたとは相当に意外でした。くねくねしたキャリアの苦労人の教育論は、失礼を承知でいえば浪花節。しかし、実体験に裏付けられた言葉なので、うなずいてしまうことばかりでした。プログラぶっくの学びやすさには、大木さんの教育観、人生観が息づいているのだと思います。